今まで、動画を撮る習慣が無いというか、撮ること自体をまず思いつきませんでした、私。
みんなの写真はいっぱいありますが、動いてるやつがほとんどなかった!

でも先日、パソコンの中に埋もれていたケンの動画を発見しまして。
やっぱり動いてるのはいいな。
ほんの短い、なんでもない毛づくろいの場面なのですが、小さな癖とか毛の感じ。声。

ケンだ。
胸に小さな明かりが灯ったような想いで、うれしくなつかしく見ました。はい、それはもう何回も。
動画、撮っておくといいですよ。
って、言われなくてもふつうの人はもっと撮ってるか。

ケンが私を喜ばせるためにカリカリをがんばって食べていたことは以前書きましたが、その話にはもう少し続きがあります。
ケンは我が家に来て8ヶ月目に一度大きく体調を崩してからは、カリカリはほぼ食べなくなって、濾した療養ウエットをシリンジで食べさせていました。
それでもケンの専用スポットであるキッチンカウンターのすみには、少しだけ腎臓サポートカリカリを入れたお皿を毎食置いていました。
そしてそれはいつも手付かずか、ほかの子が侵入してきて食べてるかで毎日が過ぎていきました。

でもある日、ケンがキッチンに立つ私の背中をチョイチョイとするので振り向くと、カウンターの上で空のお皿に顔を入れて、カリカリを探す風なしぐさをしました。
あっ!と思って急いでカリカリを入れると、ケンはすぐに一粒口に入れました。
家に連れて来た時に口腔の状態があまりにひどかったからほとんどの歯は抜歯してしまったし、長いこと固形物を食べていなかったのもあってか、上手に噛めずに口からこぼれてしまいます。

でも一生懸命一粒ずつ口に入れて噛むしぐさをして、そのたびに得意そうな満足そうな顔で私を見上げるので、胸がいっぱいになってしまって。
「えらいねえ。すごいねえ。」と何度もなでました。
その日から、毎日少しずつでも食べるようになり、私もうれしくて褒めまくり、こうして「応援すると食べる」図式が出来上がっていきました。

一回に食べられるのは少量ですが、とてつもなくゆっくりで、でも私が応援つきでずっと見ていないと食べないのです。
その間つきっきりで延々褒めるのはけっこうな手間で、時間が無い時などは正直、困ったこともありました。
それでも、自分の意思で、自分の力で、噛んで食べることはものすごく重要だと思うので続けていたら、調子の良い時期は一日の必要量の半分くらいは食べられるまでに回復してくれました。

ただやはり、それはそう長くは続かず、また少しずつ減っていきました。
そしてある時ようやく気付いたのです。
ケンは褒められたいわけじゃなかった。
ただ、私を喜ばせたくて、喜んでいる顔を確かめたくて食べてたんだ。

最後の方は固形物を受け付けなくなり、食べたら吐いてしまうようになりました。
それでも彼は、いつも変わらずのんびりと機嫌よく、台をつたってよいしょっとカウンターに登り、「カリカリをお皿に入れて?」と私に催促しました。
そしてたとえほんの数粒でも元気に食べて見せてくれました。
固形物で吐くということがわかってきたので、もうカリカリはやめようとしていたのです。

でも胸を張って食べる気満々。
「どうして入れないの?」と聞いているようなケンの顔を見ると、なんだかその気持を踏みにじるような、誇りを奪うような気がしてしまって、その後も数回はカリカリをお皿に入れました。
褒めるともう一粒食べちゃうから褒めなきゃいいのに、ケンの心意気に胸を揺さぶられて、褒めずにはいられませんでした。
「ケンはえらいねえ。ほんとにすごいねえ。」

そしてもう一つ。
お皿を撤去してしまうのは、何かを諦めてしまうようで、寂しくて悲しくて即座には踏み切れない弱さがありました。
本当はケンの体にかかる負担を少しでも軽くするよう、感傷は排除しなくちゃいけない。

撤去してからもカウンターでお皿を探すケンのおでこを撫でて、「ありがとうね。もういいんだよ。」と告げた時の胸の痛み。
ケンはただ穏やかな表情で私の言葉を聴いていました。
そしてその後はもうお皿を探しませんでした。

本当のところはわかりません。
ケンが思っていたことは全然違うかもしれないし、人と猫がここまで気持を通じ合わせることなどありえないかもしれない。
でも私は、どうしてかな。ただ信じています。

うまく言えないけれど、魂の結びつき、絆みたいなものの存在を。
皆さんも既に手にしているかもしれないし、これから訪れるかもしれない。
そのたしかな、ゆるぎない何かを。

みんなの写真はいっぱいありますが、動いてるやつがほとんどなかった!

でも先日、パソコンの中に埋もれていたケンの動画を発見しまして。
やっぱり動いてるのはいいな。
ほんの短い、なんでもない毛づくろいの場面なのですが、小さな癖とか毛の感じ。声。

ケンだ。
胸に小さな明かりが灯ったような想いで、うれしくなつかしく見ました。はい、それはもう何回も。
動画、撮っておくといいですよ。
って、言われなくてもふつうの人はもっと撮ってるか。

ケンが私を喜ばせるためにカリカリをがんばって食べていたことは以前書きましたが、その話にはもう少し続きがあります。
ケンは我が家に来て8ヶ月目に一度大きく体調を崩してからは、カリカリはほぼ食べなくなって、濾した療養ウエットをシリンジで食べさせていました。
それでもケンの専用スポットであるキッチンカウンターのすみには、少しだけ腎臓サポートカリカリを入れたお皿を毎食置いていました。
そしてそれはいつも手付かずか、ほかの子が侵入してきて食べてるかで毎日が過ぎていきました。

でもある日、ケンがキッチンに立つ私の背中をチョイチョイとするので振り向くと、カウンターの上で空のお皿に顔を入れて、カリカリを探す風なしぐさをしました。
あっ!と思って急いでカリカリを入れると、ケンはすぐに一粒口に入れました。
家に連れて来た時に口腔の状態があまりにひどかったからほとんどの歯は抜歯してしまったし、長いこと固形物を食べていなかったのもあってか、上手に噛めずに口からこぼれてしまいます。

でも一生懸命一粒ずつ口に入れて噛むしぐさをして、そのたびに得意そうな満足そうな顔で私を見上げるので、胸がいっぱいになってしまって。
「えらいねえ。すごいねえ。」と何度もなでました。
その日から、毎日少しずつでも食べるようになり、私もうれしくて褒めまくり、こうして「応援すると食べる」図式が出来上がっていきました。

一回に食べられるのは少量ですが、とてつもなくゆっくりで、でも私が応援つきでずっと見ていないと食べないのです。
その間つきっきりで延々褒めるのはけっこうな手間で、時間が無い時などは正直、困ったこともありました。
それでも、自分の意思で、自分の力で、噛んで食べることはものすごく重要だと思うので続けていたら、調子の良い時期は一日の必要量の半分くらいは食べられるまでに回復してくれました。

ただやはり、それはそう長くは続かず、また少しずつ減っていきました。
そしてある時ようやく気付いたのです。
ケンは褒められたいわけじゃなかった。
ただ、私を喜ばせたくて、喜んでいる顔を確かめたくて食べてたんだ。

最後の方は固形物を受け付けなくなり、食べたら吐いてしまうようになりました。
それでも彼は、いつも変わらずのんびりと機嫌よく、台をつたってよいしょっとカウンターに登り、「カリカリをお皿に入れて?」と私に催促しました。
そしてたとえほんの数粒でも元気に食べて見せてくれました。
固形物で吐くということがわかってきたので、もうカリカリはやめようとしていたのです。

でも胸を張って食べる気満々。
「どうして入れないの?」と聞いているようなケンの顔を見ると、なんだかその気持を踏みにじるような、誇りを奪うような気がしてしまって、その後も数回はカリカリをお皿に入れました。
褒めるともう一粒食べちゃうから褒めなきゃいいのに、ケンの心意気に胸を揺さぶられて、褒めずにはいられませんでした。
「ケンはえらいねえ。ほんとにすごいねえ。」

そしてもう一つ。
お皿を撤去してしまうのは、何かを諦めてしまうようで、寂しくて悲しくて即座には踏み切れない弱さがありました。
本当はケンの体にかかる負担を少しでも軽くするよう、感傷は排除しなくちゃいけない。

撤去してからもカウンターでお皿を探すケンのおでこを撫でて、「ありがとうね。もういいんだよ。」と告げた時の胸の痛み。
ケンはただ穏やかな表情で私の言葉を聴いていました。
そしてその後はもうお皿を探しませんでした。

本当のところはわかりません。
ケンが思っていたことは全然違うかもしれないし、人と猫がここまで気持を通じ合わせることなどありえないかもしれない。
でも私は、どうしてかな。ただ信じています。

うまく言えないけれど、魂の結びつき、絆みたいなものの存在を。
皆さんも既に手にしているかもしれないし、これから訪れるかもしれない。
そのたしかな、ゆるぎない何かを。

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