今の前に住んでいた部屋のキッチンには、道具をあれこれ置くスペースが無くて、使い勝手がとても悪かったのです。
今の部屋も安普請ですが、面積はまだマシになったので、MUJIの棚を利用してカウンターを作ってみました。
お粗末ながら、あこがれの広い調理スペース。

でも、いつからだったか、私がキッチンに立っている間はケンがその上に陣取るようになりました。
そこで昼寝したり、グルーミングしたり、そうでない時は私をじっと見つめる。
まるで、眼に焼き付けようとしてるみたいに。
ずっと覚えていようとしているみたいに。

そして時おり私のひじの辺りをチョイチョイとして振り向かせると、伸び上がって鼻チュー(というよりケンの場合は鼻ギューギュー)してきます。
結局そこはケン専用の場所として定着し、私の調理スペースは夢と消えたのでした。

ケンとの出会いは、以前にもこの記事やこの記事で何度か書きましたが、3年3ヶ月前の雪の日。
敷地内にいる猫をわざわざ246(トラックびゅんびゅんの殺伐とした広い街道)に面した歩道に追い出すビジネスホテルの玄関脇でした。
屋根もなく、雪まじりびしょびしょの地面に横たわっていましたが、私を見ると挨拶しに来ました。
そしてしばらく交流すると、また元の位置に戻って横たわったのです。
「ここしかいる所ないし、もう歩くの疲れたし」みたいに。

なんて言ったらいいんだろう、覚悟みたいなもの?
じたばたしないで淡々と現実を受け入れる、その潔くて気高い心意気に胸をぎゅっとつかまれました。
なので私の方もその場で覚悟を決めて、痩せてドロドロに汚れた身体を抱き上げました。

直行した病院での検査で、重症の猫風邪かつ薄く白血病陽性が出てしまったため、まず当面は隔離しなくてはなりませんでしたが、うちには余分な部屋なんて無し。
廊下に脱走防止柵が設置してあるので、そこから玄関までの1畳ちょっとほどの狭いスペースに急遽ケンの部屋を作りました。
柵にはシートを張り、棚を置いて下の段にベッド、上にハンモックを吊るし、トイレとご飯とパネルヒーターも設置しました。
風邪の完治と1カ月後の白血病再検査まではこれしか道がありませんでした。

もしかして白血病ウィルスが体内に入ったとしても、抵抗力があれば流れて陰性になったりするんじゃ!?!?
でもこんな所じゃストレスがなあ。
いや、でもでも!とにかくできることを全部やったろうじゃねえか。
ケンはそれでもこの狭い部屋でけっこう機嫌よく暮らしてくれました。

ただ、淋しがりやなのか、あるいはまた捨てられることが不安だったのか、人の顔を見たら膝によじ登ってきます。
なので毎日帰宅後は夫と交代で数時間ずつケン部屋に出張し、膝に乗せて過ごしました。
泊まれるスペースなど無かったので、ずっとはいてやれなくて胸がいつも痛かった。

境界の隙間からそっと覗くと、いつもこちら向きでお座りして、人の顔の位置らへんの高さを見上げてたんですよね。
それで私の方がガマンできなくてもう一回行っちゃったり。そのたび服とスリッパを替えて、廊下中を消毒して。
ケン部屋は日光が全く当らなかったので、せめて休みの日だけは日当たりの良い駐車場で車の後部を開放して、そこに飲み物やおやつも持ち込んで、ケンはリードをつけて毛布等で暖かくてして、ひなたぼっこを一緒に楽しみました。

でももしケンが完全に陽性だったら、やはりちゃんと日の当たる個室を用意してやりたくて、引越することを決めました。
そういえばケンの名前は渡辺謙さんからとったものです。
カルテに名前が必要だったのでとっさに思いつきました。
白血病から見事に復活し、それまでよりはるかに輝いていらっしゃることにあやかる気満々で。

引越前のある朝、出勤しようとしていたところに、白血病の再検査は陰性だったとの知らせがありました。
同じ空間でみんな一緒に暮らせるんだ!
先住猫たちとは既に互いの存在は十分に感じ合っていましたし、ケンがとにかくまるで物おじしない、気にしない、イライラしない子なので、ほぼすんなり入り込めました。
引越直後のリビングでみんなとひなたぼっこをしているケンの満足げな顔。携帯なので画像が良くないんだけど、でも大好きな写真です。

その後、ケンは我が家での生活の大半を持病の腎不全と闘病していくことになります。
腎不全は治療で進行を遅くすることはできても治すことはできません。
ずっと一緒にベストを尽くしてきたけれど、やはり少しずつ進行していき、やがてその限界がやってきました。
後編に続きます。
今の部屋も安普請ですが、面積はまだマシになったので、MUJIの棚を利用してカウンターを作ってみました。
お粗末ながら、あこがれの広い調理スペース。

でも、いつからだったか、私がキッチンに立っている間はケンがその上に陣取るようになりました。
そこで昼寝したり、グルーミングしたり、そうでない時は私をじっと見つめる。
まるで、眼に焼き付けようとしてるみたいに。
ずっと覚えていようとしているみたいに。

そして時おり私のひじの辺りをチョイチョイとして振り向かせると、伸び上がって鼻チュー(というよりケンの場合は鼻ギューギュー)してきます。
結局そこはケン専用の場所として定着し、私の調理スペースは夢と消えたのでした。

ケンとの出会いは、以前にもこの記事やこの記事で何度か書きましたが、3年3ヶ月前の雪の日。
敷地内にいる猫をわざわざ246(トラックびゅんびゅんの殺伐とした広い街道)に面した歩道に追い出すビジネスホテルの玄関脇でした。
屋根もなく、雪まじりびしょびしょの地面に横たわっていましたが、私を見ると挨拶しに来ました。
そしてしばらく交流すると、また元の位置に戻って横たわったのです。
「ここしかいる所ないし、もう歩くの疲れたし」みたいに。

なんて言ったらいいんだろう、覚悟みたいなもの?
じたばたしないで淡々と現実を受け入れる、その潔くて気高い心意気に胸をぎゅっとつかまれました。
なので私の方もその場で覚悟を決めて、痩せてドロドロに汚れた身体を抱き上げました。

直行した病院での検査で、重症の猫風邪かつ薄く白血病陽性が出てしまったため、まず当面は隔離しなくてはなりませんでしたが、うちには余分な部屋なんて無し。
廊下に脱走防止柵が設置してあるので、そこから玄関までの1畳ちょっとほどの狭いスペースに急遽ケンの部屋を作りました。
柵にはシートを張り、棚を置いて下の段にベッド、上にハンモックを吊るし、トイレとご飯とパネルヒーターも設置しました。
風邪の完治と1カ月後の白血病再検査まではこれしか道がありませんでした。

もしかして白血病ウィルスが体内に入ったとしても、抵抗力があれば流れて陰性になったりするんじゃ!?!?
でもこんな所じゃストレスがなあ。
いや、でもでも!とにかくできることを全部やったろうじゃねえか。
ケンはそれでもこの狭い部屋でけっこう機嫌よく暮らしてくれました。

ただ、淋しがりやなのか、あるいはまた捨てられることが不安だったのか、人の顔を見たら膝によじ登ってきます。
なので毎日帰宅後は夫と交代で数時間ずつケン部屋に出張し、膝に乗せて過ごしました。
泊まれるスペースなど無かったので、ずっとはいてやれなくて胸がいつも痛かった。

境界の隙間からそっと覗くと、いつもこちら向きでお座りして、人の顔の位置らへんの高さを見上げてたんですよね。
それで私の方がガマンできなくてもう一回行っちゃったり。そのたび服とスリッパを替えて、廊下中を消毒して。
ケン部屋は日光が全く当らなかったので、せめて休みの日だけは日当たりの良い駐車場で車の後部を開放して、そこに飲み物やおやつも持ち込んで、ケンはリードをつけて毛布等で暖かくてして、ひなたぼっこを一緒に楽しみました。

でももしケンが完全に陽性だったら、やはりちゃんと日の当たる個室を用意してやりたくて、引越することを決めました。
そういえばケンの名前は渡辺謙さんからとったものです。
カルテに名前が必要だったのでとっさに思いつきました。
白血病から見事に復活し、それまでよりはるかに輝いていらっしゃることにあやかる気満々で。

引越前のある朝、出勤しようとしていたところに、白血病の再検査は陰性だったとの知らせがありました。
同じ空間でみんな一緒に暮らせるんだ!
先住猫たちとは既に互いの存在は十分に感じ合っていましたし、ケンがとにかくまるで物おじしない、気にしない、イライラしない子なので、ほぼすんなり入り込めました。
引越直後のリビングでみんなとひなたぼっこをしているケンの満足げな顔。携帯なので画像が良くないんだけど、でも大好きな写真です。

その後、ケンは我が家での生活の大半を持病の腎不全と闘病していくことになります。
腎不全は治療で進行を遅くすることはできても治すことはできません。
ずっと一緒にベストを尽くしてきたけれど、やはり少しずつ進行していき、やがてその限界がやってきました。
後編に続きます。
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